両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

令和元年5月31日、女子SPA!

妻のDVに苦しむ夫は意外と多い。殴られて救急搬送された夫が語った“恐怖”

 昨年、“エリート銀行員が妻を殺害し、母親が死体遺棄を手伝った事件”が前代未聞だと話題になったのを覚えているでしょうか?

 この事件の裁判での夫に対する被告人質問で語られたのは、妻からの家庭内暴力です。「顔面殴られたり、髪をつかまれたり、引きずり回されたり、100回以上ありました。土下座するわたしの頭を蹴りました。もう限界だと思いました」と証言した夫。

 もちろん夫側だけの証言だし、それで殺人が許されるわけはないのですが…。

 男女関係や不倫事情を長年取材し著書多数のライター・亀山早苗さんが、妻によるDV事例についてレポートします。(以下、亀山さんの寄稿)

妻の暴力に苦しむ男は少なくない?

 千葉県柏市で妻を殺害し、遺体を母親とともに実家の庭に埋めた罪に問われている元銀行員の男が、29日の裁判で「家庭内での妻の暴力や暴言がひどかった」と証言している。

 離婚を切り出したら、幼い娘とともにマンションの屋上へ駆け上がり、飛び降りて死ぬと脅したりもしたようだ。強迫神経症を患っていたらしいが、妻も夫も追いつめられていたのだろう。

 平成29年度の内閣府「男女間における暴力に関する調査」によれば、配偶者から身体的暴行、心理的攻撃、経済的圧迫、性的強要の4つのうち、ひとつでも受けたことがあると答えたのは女性で4割強、男性はほぼ2割(*)。

 あまり問題視されないが、女性から男性への暴力も決して少なくないのだ。

(*)配偶者からの身体的暴行、心理的攻撃、経済的圧迫、性的強要のいずれかの被害

参考 内閣府男女共同参画局「男女間における暴力に関する調査 配偶者からの暴力の被害経験」(平成29年度調査)

 実際に、妻からの暴力がひどくて離婚したと語ってくれた男性がいる。サトシさん(47歳)は、調停や裁判を経て4年前、ようやく離婚できた。結婚前から神経質な女性ではあったが、妊娠をめぐってそれが加速した。

「私が30歳、妻が28歳で結婚しました。なかなか子どもができず、妻は思い悩んでいました。私は子どもがいなければいないでもいいと思っていたんですが、どうしても子どもがほしい、と。

 ようやく妊娠したのは4年後。今思えば、あのころから彼女はかなり神経過敏になっていましたね。流産するのではないかと恐怖にかられ、家の中のことはほとんどしなかった」

 サトシさんは外資系企業に勤めていて海外とのやりとりが多く、帰宅が遅くなることもあった。なるべく早く帰って家事をやるよう心がけていたが、どうにもならないときは妻の母に応援を頼んだ。

「ある日、どうしても仕事で会社に泊まらなくてはならないことがあったんです。疲れ果てて、朝やっと家の玄関を開けたらいきなりグーパンチが飛んできた。脳しんとうを起こして救急搬送されました」

 妻はどうやら浮気を疑っていたらしい。一晩、悶々とした結果がグーパンチだった。妻の不安はわかるが、いくらなんでもやりすぎだろうとサトシさんは将来に不安を覚えたという。

子どもが生まれた後も妻は神経過敏

 息子が生まれてからも妻の神経過敏は続いた。もちろん病院に連れていったこともあるが、結局は、「子育てのストレスですから、手伝ってあげてください」と言われるだけ。

 サトシさんは自分ができることは何でもやった。たとえ睡眠不足になっても子どものことに関しては手を抜かなかったという。

「妻の母親もよくうちに来て手伝ってくれていましたから、今でいうワンオペではなかった。それでも妻にとってはストレスがあったんでしょう」

 家に帰ると、出前でとった鮨桶(すしおけ)や取り寄せたらしい高級メロンの箱などがよく台所にあった。

 サトシさんはまったく食べていない。おそらく妻が母親と食べたのだろう。だがそれで少しでもリラックスできるならそれでもいいかと思い、彼は言及しなかった。

子どもの身体にアザを見つけた

 時間があればサトシさんは息子と遊ぶようにしていた。だが、平日はなかなか早くは帰れない。

 週末、彼が息子を風呂に入れようとすると、「今日は風邪気味だから入れないで」とか、「さっきあなたがちょっと出かけているときにもう入れた」などと言う。

 おかしいなと思い、ある日、早く帰れたので妻の制止を振り切って息子を風呂に入れた。背中に生々しいアザがあった。息子が2歳のころだ。

「ママにぶたれたの?と聞いたら、息子の表情が固まったんです。あんなに小さいのに言っていいかどうか考えている様子なんですよね。不憫(ふびん)でたまらなかった」

 妻に尋ねると、「昨日、外で遊んでいて背中から転んだ」という。背中から転ぶ状況を説明してもらったが彼には納得できなかった。

何もかもがおかしくなっていた

 その間も、何か気にくわないことがあると妻はサトシさんに暴力をふるった。多くは彼が妻の手をつかんでやめさせたが、そうすると今度は大声で怒鳴り続ける。息子はおびえて泣いた。

「家に帰る時間が5分遅れると、妻は『死んでやる』と脅す。謝ると土下座しろという。息子のためにも平穏な時間がほしいから、土下座するしかなかった」

 もちろん、話し合おうとしたことも何度もある。

「何が不満があったら言ってほしいと何度も言いましたが、妻はとにかくすべてがイヤだと。こんな生活はしたくないというから、じゃあ離婚しようというと『あなたは私を捨てるのね』と号泣する。

 お義母さんとも話しましたが、お義母さんはまったく彼女のおかしさに気づいていない」

 あとからわかったことだが、義母は娘からお金をもらって妙な新興宗教に貢いでいたらしい。何もかもがおかしくなっていた。

家の中に隠しカメラをつけて

 その後、サトシさんは家の中に隠しカメラをつけた。妻はやはり息子に暴力をふるっていた。

 彼は即座に3歳の息子を連れて家を出ることを決意した。妻に預けていた預金通帳を探し出すと、預金はほとんどなかったという。

「それなりに稼いでいたんですよ。だけどほぼゼロ。妻のクローゼットを見たらブランドもののバッグが使った様子もなく、値札がついたまま並んでいる。

 それを売り払うしかないと思って全部車に積んで、とりあえず友人宅に避難しました」

 翌日、妻が友人宅へやってきて、大騒動になったという。彼はすぐにマンションを借り、子どもは昼間、近くに住む妹宅に預けた。

 オートロックの妹宅のマンションに妻が入り込んで騒ぎになったこともある。

「妹夫婦が身体を張ってうちの息子を守ってくれた。それは感謝しています」

「いちばん怖かったのは、子どもを人質にとられていること」

 彼が息子を迎えに妹宅へ行ったとき、隠れて待っていた妻から襲撃を受けたこともある。それでも彼が警察沙汰にしなかったのは、「息子の母親を犯罪者にしたくなかったから」だという。

 彼は弁護士をつけ、離婚を模索したが話し合いは決裂。調停、裁判と進んで、ようやく親権をかちとって離婚した。

「妻が暴力をふるうと言っても、あまり周囲に信じてもらえないんですよね。精神科医の医者も頼りにならなかった。

 私がいちばん怖かったのは、子どもを人質にとられていること。だから妻を怒らせるようなことはしたくなかった」

 今は息子とふたり暮らし。忙しかった外資系企業を辞めて、友人と起業した。家でできる仕事も増えたが、12歳になった息子のほうが最近多忙だと笑う。

「でも時間があると息子とふたり旅をしています。この夏もふたりで自転車の旅をするつもり」

 サトシさんは、「過去のあの日々を思い返すだけで今も怖い」と最後にぼそっとつぶやいた。

<文/亀山早苗>アクセス数
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