平成28年1月29日、静岡新聞
「わが子」に会いたい~離婚と面会交流(2)親権争い さらなる遺恨
日本が先進諸国で唯一、採用している「単独親権制」は離婚後、片方の親しか親権者になれない。面会交流の保障がない現状は、「親権を失えばわが子に会えなくなるかもしれない」という懸念を生み、両親の親権争いは激化する。対立は離婚後も遺恨となり、面会交流の実現をさらに難しくしている。
県中部のさゆりさん=40代、仮名=は、4年近く、娘たちに忘れられた母だった。2010年春、同居していた義父との関係が悪化し、5歳と2歳の娘を連れ実家に戻った。春休みが明け、「幼稚園に行きたい」と言う長女がかわいそうで、迎えに来た夫に2人を渡した。しばらくして「親子4人だけで暮らしたい」と訴えようと自宅に戻ったが、夫に追い返された。別の日、娘の顔が見たくて習い事の会場に行くと、そこにいた義父に叱られた。
円満解決を目指し静岡家裁に調停を起こしたが決裂し、離婚は避けられなくなった。親権争いは、その時に育てている親が有利になる。さゆりさんが「あのまま娘と一緒に暮らしていれば、自分が親権者になれた」と気付いた時には遅かった。身を切られる思いだった。事態を打開するには、元夫について「親の適性がない」と批判を繰り返すしかなかった。
「気分を害したのだと思う。それが、元夫が娘を私に会わせたくなかった最大の理由かも」。離婚成立時に決まった「1カ月に1回」の面会交流は、約束に反して「半年に1回、2時間、公園で」とされ、娘のリュックに録音機が入っていたこともあった。ある日、次女は面会交流に同伴した元夫の妹を「ママ」と呼び、さゆりさんには「おばちゃん」と言った。隣にいた長女は申し訳なさそうに沈黙した。
さゆりさんが面会交流を求めた審判は14年、「月1回6時間、母子のみで」と決定し、1年半ぶりに交流が再開した。すると、長女は覚えていると言わんばかりに冗舌に思い出を語り、「ママの気持ち、分かるよ」と言った。寂しさの中でも母を肯定しようとする、いちずな思慕を感じた。
1990年の「子どもの権利条約」は、子が離別親(別居する親)に会う権利をうたう。各国とも批准を機に、離婚後も両親が子の成長に責任を持つ「共同監護」の制度を整え、離別親と子の絆も重視してきた。同条約を批准していないものの、いち早く共同親権を採り入れた米国は「隔週、2泊3日」の面会が主流といわれる。日本は94年に批准したが、現在も単独親権のままで、面会は「月1回、2時間」が多く、格段の差がある。「単独親権が、離別親を切り捨てている」と批判する声もある。
最近、次女もさゆりさんを「ママ」と呼ぶようになり、母子の絆をようやく取り戻せたと実感している。毎回、時間を惜しむように話す娘たちを見て「自宅に泊めて、手料理を振る舞いながら思い付くままに話したい」という夢も膨らみ始めた。しかし、親権者でないさゆりさんは、親であっても、親ではない。実現するには、元夫の“許可”を得るか、再び会えなくなるリスクを覚悟して調停を申し立てるしか方法がない。
<メモ>親権 未成年の子の親権は夫婦が離婚協議をする際、自分たちでどちらかに決める。双方が親権を主張し、争いが生じた場合などは、裁判所の指定を受けることもできる。親権者の判断では「子の意思」「監護の継続性(子の環境を変えないこと)」が重視される。特に幼児の場合、後者が重んじられる傾向が強い。
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