両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

令和5年4月24日、デイリー新潮

【共同親権問題】「連れ去られた初孫は、2年間小学校に行かせてもらえなかった」それでも家庭裁判所が夫婦に下した判断とは

 現在、国会で「共同親権」を導入すべきか、大詰めの議論が行われている。そもそも、「共同親権」とは、子どもの親権を、父親と母親の双方が共同で行使しなければならないことをいう。父親または母親のいずれか一方のみが親権を行使しているように見える場合であっても、他方の親がそれに同意し、許容していることが必要である。一方、現在の日本では、もし両親が離婚した場合、親権はどちらか一方にしか認めないという「単独親権制」が導入されている。

どれだけ理不尽であっても

 こうした法体制を背景に現在頻繁に起きているのが、「連れ去り事件」だ。これは、子供がいる夫婦間でトラブルが起きたり、特にトラブルが生じたわけではなくとも離婚を考えていたりする際、どちらかが、相手に無断で子供を連れ去った上で別居するというもの。無論、どちらかの親からの暴力や虐待から子供を守るためというケースもあるが、その場合であっても、法的な保護手続によらなければならないにもかかわらず(当然のことながら、一方的な主張で決まるわけではなく、相手方にも反論の機会が与えられる必要がある)、一方的に子供を連れ去ることで解決しようとするケースが多い。既成事実化された事実状態を追認するだけの判断を行う傾向が非常に強い裁判実務を悪用し、離婚裁判を有利に進めるために行われる場合も少なくないという。子供を連れ去られ、子供との関係を断絶され、それが既成事実化されてしまい、実の子に会う機会を奪われたもう一方の親は、我が子会いたさに、どれだけ理不尽であったとしても、相手の要求を飲まざるを得なくなってしまうというケースが後を絶たない。

公立の学校に

 いわば“駆け引き”の材料として片方の親に引き取られた子供たちの中には、あろうことか、満足に教育を受けさせてもらえないという事態となっていたり、満足に食事も取れない状態(いわゆる「子供の貧困」と呼ばれる状態だ)に陥っていたりするなどの問題も起きている。3年前のある日、母親と共に姿を消した真央ちゃん(仮名)もその一人。真央ちゃんの誕生から側で見守り続け、育児にも積極的に協力してきた父方の祖父が、その状況を語る――(議論沸騰【共同親権問題】“私の初孫はある日突然姿を消した”も合わせてお読みください)。
※この記事は取材を元に構成しておりますが、個人のプライバシーに配慮し、一部内容を変更しております。あらかじめご了承ください。

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 私の初孫の真央ちゃんは、いわゆるお受験を経て、都内にある私立の小学校に通っていたのですが、小学1年生の秋に息子の妻である綾子さん(仮名)に連れ去られて以降、通学していないことがわかりました。学校から私の息子に問い合わせがあり、それが発覚したのです。さらに、弁護士を通じて、相手方に確認を取ったところ、「公立の小学校に転校した」という驚きの答えが返ってきました。

とんでもない事実が

 私立の小学校には、息子がずっと学費を払い続けていましたし、念の為学校にも確認したところ、「転校の事実はない。学籍はこちらにある」とのことでした。加えて、「そもそも転校の手続きは、ご両親の承諾がなければできない」とも言っていただいた。うちの息子は、当然ながら転校を望んでいませんから、真央ちゃんの学籍はずっと、私立の方にあるのです。
 となると、真央ちゃんは今、どこに通っているのか、そして「転校」とは、一体何を指しているのか。改めて調査を進めると、とんでもない事実が明らかになったのです。
 というのも、真央ちゃんは、ある都内の公立の小学校に通っている、ということになっていた。ただし、先ほどもお話した通り、学籍は私立の方にあるわけですから、正式な転校ではありません。そのため出席番号もないし、通知表もない。あくまで見学、オブザーバーとしての参加、体験学習だということだったのです。しかもその後、綾子さんは、真央ちゃんを、その“仮の通学”にすら行かせていないことまでわかったのです。

高いハードル

 真央ちゃんを学校に通わせていない――。これは明らかな虐待行為に他なりません。一刻も早く、この問題を解決しなければならない。そのためには、真央ちゃんを取り戻すしかない。とはいえ、現行法の下では、力ずくで真央ちゃんを取り返そうとすると、「連れ去り」については不問に付すのに、「連れ戻し」については誘拐罪に問われる可能性が高い。そこで、何か方法がないか、弁護士さんに相談すると、家庭裁判所に、「監護者」指定の申し立てをするという手があるということを教わりました。
 監護者とは、いわゆる「親権」の中に含まれる、「監護権」、平たく言えば、子供の衣食住や教育環境を確保したり、子供の身の回りの世話をしたりする権利を有する者のことです。別居中でも、家庭裁判所から監護者指定をもらえれば、真央ちゃんを取り戻すことができるですが、当然ながら、ハードルは高い。親権同様、圧倒的に母親の方が監護者として選ばれやすく、さらに、既成事実を追認するだけの裁判実務がまかり通っている現状では、子供と現在同居しているとなれば、家裁はますます、母親を指定してくる可能性は高い。

調査官の質問

 しかし、母親が、義務教育期間の子供を学校に通わせていなかったとしたら、話は違います。監護者としての義務を果たせていないわけですから。弁護士さんもそこに一縷の可能性を見出して、家庭裁判所への申し立てを決めたのです。
 申し立てをしてから、数ヶ月後のことでした。私の息子は調査官に呼び出され、家庭裁判所に向かいました。そこで3時間、別居前のことを根掘り葉掘り聞かれたそうです。特に、親子関係についてはしつこく聞かれたそう。ときには、「真央ちゃんを怒ったことはあるか」「そのとき真央ちゃんはどんな表情をしていたか」などと、息子と孫の関係性に溝があったと決めてかかっているような質問もあったそうです。

 さらに、家裁の調査官は、真央ちゃんの祖父母である、私どもの自宅にも来ました。そこでも同じように、別居前の様子について聞かれ、私たちはありのままを話しました。息子も、私たちも、真央ちゃんの育児をしっかりやっていたこと、息子の妻である綾子さんは、一人の時間を大切にしていたこともあり、そういう時には、息子が真央ちゃんを外に連れ出し、一緒に遊んでいたこと。祖父母としても、できる限り、真央ちゃんのお世話をしていたこと。母親側が主張しているような、虐待やネグレクトなどはなかったこと。やはり3時間ほど、全てを隠すことなくお話しました。もちろん、綾子さんや真央ちゃんにも、同じように調査官から、聞き取りをされたようです。

裁判所の存在意義

 その後、調査報告書が開示されたのですが、そこでは母親側の主張だけが一方的に採用され、息子側の主張は無視されていました。連れ去った側に監護権がある、という前提のもとに作られた印象は否めない。ある程度予想はしていましたが、やはり、目の当たりにすると、ショックは大きかったですね。
 ただ、報告書の中で希望があったのは、孫は、「私立の小学校に通いたい」と発言していたこと。つまり、こちらの要望と、孫の意見は一致していたのです。綾子さん側の弁護士は、この孫の主張を覆すべく、裁判所に対し、孫が書いたとされる、「公立の小学校に行きたい」という文書を提出してきたのです。これには流石に裁判所も困惑していましたが、困惑するにとどまり、特に何も措置を取ろうとはしませんでした。

 こうして大人が不毛なやりとりをしている間にも、真央ちゃんはずっとまともに学校に行けていないのです。それでもなぜ、監護者は母親なのでしょう。学校に行かせない親が、監護者になる、そんなおかしいことはありません。ですが、裁判所は、なんの判断も下さないどころか、「報告書でも監護者は母親と出ているし、早く和解した方がいい。このままだと子供もかわいそうだし、あなたも損をする」と、息子に言ってきたのだそうです。これには怒りを通り越して、呆れるばかりでした。裁判所の存在意義が、どこにも見出せません。こういう事態だからこそ、裁判所に判断を仰いで、問題を解決しようとしているのに……。

二度と戻らない

 そのまま時が流れ、ついに今年3月に、審判の日を迎えました。結果は、調査報告書の通り、監護権は母親、というもの。もちろん、すぐに不服を申し立てました。そして真央は、度重なる主張の結果、ようやく、この4月から私立の学校に通学できているとのこと。しかし、本当であれば楽しい時間であった、真央の貴重な小学校生活の2年間は、もう二度と戻ってこないのです。明らかな虐待であるにも関わらず、それでも頑なに慣例を重視し、監護者を母親にし続けた家庭裁判所に対しては、違和感しかありません。

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