両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

令和3年4月30日、月刊Hanadaプラス

諸悪の根源は「単独親権」|三谷英弘

「実子誘拐」は人権侵害だ

月刊『Hanada』2020年5、6月号で報じられたが、国境を越えた「子どもの拉致」(チャイルド・アブダクション)だけではなく、実は日本国内でも「拉致」が行われていることを知っている人は多くはないだろう。

なぜ、私がこの問題に関心を持ったのか。
きっかけは弁護士時代に遡る。

「家に帰ったら誰もいない──」
女性の側に子どもを連れ去られた男性の声を聞いたのがきっかけである。私は企業法務の仕事がメインだったが、クライアントの身内でこのようなことが起こったことを聞いて衝撃を受けた。

日本は単独親権の国であるということすら、当時はあまり意識していなかった。
「子どもを連れて実家に帰らせていただきます」というような話は、日本では当たり前のように耳にする。いわゆる「三行半」という文化だ。だがこのカルチャーは、日本では「常識」かもしれないが、世界では「非常識」なのである。

「実子誘拐」は人権侵害であり、海外から子どもを連れ帰った母親が、国際指名手配を受けている例も少なくない。これは国外だけの問題ではない。実は、国内においてもこのようなケースは数多く存在する。

私が実際にかかわったなかにも、ある日突然、女性が子どもを連れて出て行ってしまった、そんなケースがあった。女性は子どもを連れ去ったあと、ワンルームの部屋を借り母子2人で生活し、飲食店での接客業を行うため、夜は子どもをひとりにして放置。

他方、男性には快適な住居があり、普段から愛情を注いでくれていた祖父母も近くに住んでいる。そして何より、父子の関係は良好そのもの。離婚したあとも、子どもを監護するうえではまったく問題のない環境であった。客観的な状況判断をすると、男性の側で子どもの面倒を見たほうがいいのは火を見るよりも明らかだ。

だが、実際はそうはならなかった。基本的に日本の裁判官は「継続性の原則」「母親優先の原則」で動いており、そこに虚偽のDVが加われば男性に勝ち目はない。

手を上げたことなど一度もないにもかかわらず、妻子に暴力を振るうだとか、インターネットに夢中で家庭を顧みないだとか、母親の勝手な言い分ばかりが通り、結果的に男性から子どもを奪う形となってしまったのだ。

「金だけ出せ」という不義

子どもを育てる資格を奪われたうえに、裁判所に言われたのは「金を出せ」。
つまり、「裕福なあなたがお金を出せば、母親も働かなくて済む。そうすれば、1人でも子どもの面倒はちゃんと見られる」。

しかし男性側から見れば、それはあまりにも納得しかねる結論だった。親権を奪われ、子どもにも会わせてもらえない、そのうえ、金だけ払え。これで納得する父親がいるだろうか。普通に考えれば、いるわけがないだろう。

しかし、家裁がこのような結論を出せば、男性は泣く泣く従うしかないというのが現状だ。父親が戦える場所は、日本にはほとんど残されていないからである。

面会交流を求める調停件数は近年、増加傾向にある。司法統計平成28年度版によると、その調停件数は、全国で1万2,341件にのぼる。この数は氷山の一角であり、おそらくその件数の何十倍もの「実子誘拐」が行われていることは想像に難くない。

常識的に判断をすれば父親の側にいたほうが良いというケースは多々あるのだが、不思議なことに、日本ではそうなるケースは少ない。

「子どもは母親が育てるべき」というカルチャーが、日本には根強く残っているからだろう。先のケースでは、調査官は母親と子どもがどのような関係にあるのかの確認を行ったが、他方で父親と連れ去られた子どもの関係性は確認すら行われなかった。母親と子どもの関係に問題がなければそれでよし、と判断するからだ。

見捨てられた子への虐待

子どもの意見は聞かないのか。

もちろん、裁判の段階で一定の年齢に達していれば子どもの意見を聞くことも多い。しかし、連れ去られた子どもたちは一緒にいる親の顔色を窺う。その子が何歳であろうと、「お父さんはひどい」「お父さんはひどい」と言って育てられると、次第に子どもも「お父さんはひどい」と思うようになる。その結果、不幸なことだが、「お父さんに会いたい?」と訊かれても、「会いたくない」という子どもに育ってしまう。

連れ去られた直後ならば「お父さんに会いたい」という子どももいるだろうが、半年、1年の間、お父さんの悪口を吹き込まれた子どもが「お父さんに会いたい」という気持ちを正直に吐露することなどできるだろうか。これを子どもへの虐待と言わずして何というのだろうか。

先のケースではまだ子どもが小さかったからか、子どもの意見は聞かれなかった。自分の意見を話す能力さえ認められない、そんな小さな子どもが、母親が仕事をしている夜の間、ずっと1人で放置されている。結果として、それを裁判所が追認するのは常識的に考えておかしくないだろうか。

裁判官も弁護士も、子どもの権利など実際には黙殺しているというのがいまの日本の姿だ。
裁判所は機能不全を起こしているといっても過言ではない。裁判官自身もこの手の案件はあまり積極的ではないのか、親子の関係性などの専門的な知見だけではなく、離婚に至る経緯や現在の境遇などについても調査官の報告を鵜呑みにする傾向が強い。事実認定は裁判官の職責であるにもかかわらず、事実上、調査官が行っているのだ。

いろいろ調べていくうちに、多くの方がこの問題で苦しんでいることがわかった。女性が虚偽のDVで男性を訴えるケースも多く、母親の言い分ばかりが通ってしまう。
これでは世の男性たちは報われない。

日本はなぜ単独親権なのか

なぜ、このようなことが罷り通るのか。

単独親権こそが諸悪の根源だ。

現在、先進国で単独親権なのは日本のみ。かつては米国も欧州もすべて単独親権だったが、いずれもここ半世紀の間に共同親権になった。日本だけがおかしかったのではないのだが、いつのまにか、日本だけが世界の潮流から取り残されてしまった。

単独親権から共同親権へ。
この法整備をするにあたっては、いまの日本と同様、どの国も苦労した。だが、子どもの権利をどう守るのかを考えつくし、その結果、共同親権が導入されたのである。

共同親権の導入に反対する人たちは、髪を切る、歯医者に行く、このような些細なことでも共同親権者の許可が必要になると主張している。共同親権では子育てがまったく進まないという理屈であるが、意味不明な主張と言わざるを得ない。

その証拠に、離婚を協議している間はまだ共同親権であるはずだが、実際は子どもを連れ去った側がすべて、子どもの進路すら決定している。先の言い分は、まさにためにする議論だ。

では、単独親権のメリットはどこにあるのか。
「見当たらない」というのが私の正直な感想だ。

単独親権の最大のデメリットは、子どもと一方の親との関係を断ち切ってしまうことにある。法的に親であるということを否定しておきながら、親なんだから養育費だけはしっかり払えというのは、そもそも議論として矛盾していないだろうか。

養育費を支払うということは、親として当然担うべき役割の一部である。そうであるならば、正面から養育費の支払い義務を含め、共同親権という形で親権を認めるべきだ。子どもに会えないだけでなく、支払った養育費が本当に子どものために使われているのか、現状ではそれを確認する機会すら与えられない。これではあまりに不公平だ。

よくある夫婦喧嘩もすべてDV?

2014年、ハーグ条約(国際的な子どもの奪取の民事上の側面に関する条約)に日本も加盟。夫のDVから逃げてきた女性を元の国に戻すのはおかしいといった反対意見も根強くあったが、DVに関しては除外するという項目を国内法に明記したことによって、すべての政党がこの条約に賛成をした。

ハーグ条約の狙いは「連れ去り勝ちを認めない」ということであり、まずは子どもを元の居住国に戻してから裁判をしましょうということなのだが、残念ながら日本では実効性に欠け、現実的に元の居住国に戻すようなことは行われない。

しかも連れ去られたら最後、子どもがどこに住んでいるのかも教えられなければ、子どもに会うチャンスすら認められない。これでは、日本が「子どもの拉致国家」と言われても仕方がないだろう。

DVは絶対に許してはいけないし、DVの被害者を保護することは当然のことだが、問題はこのDVという言葉にある。いまはDVという言葉が独り歩きしているが、DVとはなにか、もっと明確に定義づける必要がある。

たとえば、最近はモラハラがDVと言われることも多い。「きつい言い方をされた」「威圧的な態度を取られた」という理由でDVとして扱われるケースが多々あるが、しかし、本当にそれで良いものだろうか。

ただでさえ、現状においてDVの境界線は曖昧であり、よくある夫婦喧嘩も言い方次第ですべてDVとして認められかねない。夫婦円満でないがゆえに別れるのだから、夫婦間で言い争いが起きるのはむしろ当然だ。第三者の目が行き届かない家庭内においては、あらゆる意味において「DVをしていない」という証明は悪魔の証明以上に困難である。

虚偽のDVなど自分には関係ないと思っている男性も多いが、その被害を受ける可能性がすべての男性に存在することは知っておくべきだ。

さらに、離婚したからといって子どもにもう一方の親と会わせなくていいというのは、親と子の双方にとって極めて残酷である。父親のほうが連れ去るケースもあるが、多くは女性だ。

過去の関係をリセットしたいという女性の気持ちも理解できる。しかし、このままでいいわけはないだろう。「日本では養育費の支払いが少ない、これが問題だ」などと非難される方もいるが、実際のところは、離婚をすれば縁が切れる、相手の顔も見なくて済む、だから養育費も求めない、というケースは極めて多い。

言い換えると、相手の権利をすべて奪える現状の単独親権の制度では、子どもは私が育てるからあなたは一切かかわらないでほしいということになる。だが、そこにはあまりに子どもの視点が欠けていやしないだろうか。

共同親権に変わればどうなるのかといえば、いまと違って、離婚しても相手との関係は切れない。切れないことを前提に、ではどうすればうまく子育てをしていくことができるのか、このような発想に立てば、そもそも養育費が要求すらされないという問題は解消していくことになる。原則を変えれば、子育ての仕方も変わるのである。

共同親権に反対する面々

日本で共同親権の導入に向けた議論は進んでいるのか、いないのか。
残念ながら、ほとんど進んでいない。

どこの党が賛成で、どこの党が反対か。そのような状況ではなく、党内で意見が分かれているというのが現状だ。

では、誰が反対をしているのか。
多くは女性議員である(もちろん、賛成してくれる女性議員もいるが)。

「か弱い女性は守らなければならない」

それ自体を否定するつもりはないが、女性やその支援者からの訴えだけに耳を傾け、他方からの話を聞かないまま「男はひどい」という見方に偏り反対されてしまうと、制度としての議論がなかなか深まらない。

加えて、議員立法では各党、各会派で賛成を得なければならないので、なかなか事が進まないというのが現状である。逆に、立憲民主党であっても賛成する議員は少なからずいるので、イデオロギーの壁は思った以上に高くない。

過去には紆余曲折がありながらも、「親子断絶防止法案」については様々な政党に所属する議員が努力を重ねて各党賛成になった。しかし残念ながら、民主党が解党したことによって各党の議論がゼロベースに戻ってしまったという苦い過去もある。いくら話がまとまっても、野党がバラバラになる、つまり党の名前が変わるたびに議論はゼロに戻ってしまう。

ちなみに、共同親権の導入に対しては、日弁連、特にそのなかでも男女共同参画を推進する弁護士グループが大反対をしている。彼らは、男女共同というよりも女性の権利ばかりを主張しているという印象が強い。

実は、世のなかには男性だけではなく、子どもを奪われた女性も少なからずいる。でも彼らはなぜか、その女性たちにはシンパシーを示さない。男性が悪い、女性を守るためには単独親権しかない、といった不毛な論を展開している。

連れ去り勝ちを生む土壌

「実子誘拐」を飯のタネにしている悪徳弁護士もなかにはいるかもしれないが、個人的には多くの弁護士はそうではないと信じている。

ただ、語弊があるが、有能な弁護士ほど「実子誘拐」に手を貸している状況になっている。離婚を成立させ、なおかつ子どもを確保したいというお客さんの意向を最大限に尊重しようとすれば、「連れ去り勝ち」が最も有効な手段だからである。

わざわざお客さんの意向に反してまで、法制度を変え、共同親権を導入すべきだとまで考える弁護士は少ない。「実子誘拐ビジネス」で儲けようと最初から目論んでいたわけではないだろうが、これでは結果的に「実子誘拐ビジネス」に手を貸していると批判されても仕方がないだろう。

加えて「女性は弱い」、だから守らなければいけないというドグマが、政治家にも、弁護士にも強い。男性が虐げられている状況が広がっているにもかかわらず、DVは男性がするもの、だから女性を守らなければいけないというストーリーのほうがわかりやすく、結果的に男女共同参画を主張する一部の声の大きい弁護士たちに流されてしまっている。

日本の弁護士が見るのは国内法だが、世界からどう見られているかをもっと考えるべきだ。弁護士自身がこういった発想を転換しなければ被害はますます増えてしまう。まずは、弁護士自身が変わっていくことを期待したい。

それにしても、男女共同参画を推し進める人たちは、共同親権をやらない理由はたくさん述べるのだが、単独親権の下で行われている悲劇にはまったく目を向けない。子どもを連れ去った母親が再婚し、元夫の目の届かないところで、子どもが再婚した男性から虐待を受けるケースは少なくない。この点をどう考えているのだろうか。

裁判官と弁護士が癒着しているというのは一般的には考え難いことだが、月刊『Hanada』5月号の「実子誘拐ビジネスの闇 人権派弁護士らのあくどい手口」を読むと、裁判官が母親側の弁護士事務所に「天下り」をしたという。これは司法の外形的な公平性・中立性を損なっており、禁じ手である。自ら担当した大きな事件の一方当事者の法律事務所に就職するなどいままで聞いたことがない。裁判官の倫理としてあってはならないことだ。

いわゆる「人権派」からの猛攻撃

日本国内の「実子誘拐」があまりメディアで報じられないのはなぜかというと、報じると批判が殺到するからである。皆さんが思っている以上に、すごい。

「実子誘拐」に関する問題を取り上げるメディアもあるが、そのたびに当該メディアが、名誉毀損で訴えるといった脅迫まがいの言説で攻撃に晒されていると聞く。現場の記者が熱い想いで取材をし記事にしても、事なかれ主義のメディアであれば、恐れをなして削除に応じてしまう。それでは物事は前に進まない。

私も、とある著名なNPO法人の代表から執拗な落選運動を展開されたことがある。ツイッターの匿名アカウントによる攻撃も多数受けてきた。

このような男は政治家にしてはいけない、女性の敵だ、DV男の味方だといった趣旨の批判をツイッター等で展開、拡散され、ものすごい被害を被った。子どもの利益に繫がる政策を語ることで、なぜ女性の敵だと罵られなければならないのか。

可哀想なことだが、いま最も攻撃されているのは、この問題を国会で追及している日本維新の会の串田誠一衆議院議員だ。執拗な嫌がらせや落選運動を展開されるくらいなら、彼らが望むような形で「か弱き女性」の権利のために活動していたほうがどれだけ楽かわからない。

しかし政治家である以上、自分のことよりも、救うべき人のために不利を覚悟で論陣を張らなければならない。彼を含め、この問題を取り上げる国会議員はみな、子どもを守るために必死である。

それでも、突破口はある!

では、「実子誘拐」を減らす突破口はどこにあるのか。実は、養育費の未払いをゼロにする、というのがひとつの突破口になると考えている。

「金は払わせるが子どもには会わせない」という制度では、養育費の未払いは減らしようがない。法律で支払いを強制することもひとつの手段だが、いくら法的に支払いを強制しても、払いたくない人は様々な方法で法の網をかいくぐる。

より大事なことは、子どもを一方の親が囲い込むのではなく、離婚後も父母双方に子どもとの縁を切らせないこと。離婚した以上はもうあなたの顔なんて見たくないというわがままも、離婚したからこれ以上子どもの面倒なんて見ないというわがままも許されない。

離婚しても親なのだから養育費を払え、ちゃんと子どもの面倒を見ろ、と国および社会が、離婚したあとも親子の交流を継続するように仕向けていくことで、必然的に養育費の未払いは減っていく。

単独から共同へ。制度を変えると同時に、親の意識(カルチャー)そのものを変えること。これがもっとも重要である。

離婚は大人同士の都合であり、親が離婚をしても、双方の親に大切にされていると実感できる境遇を維持することは、子どもの健全な発育にとって極めて重要なことだ。離婚をすることが、一方の親と子どもとの今生の別れであるがごとき原則を変えていく必要がある。

共同養育支援法(旧親子断絶防止法)も重要だが、やはり本丸は共同親権だ。共同親権を認めない限り、日本は永遠に「子どもの拉致国家」との汚名を返上することはできないだろう。

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