令和元年6月10日、TABLO
秋田女児殺人事件 娘を母親に殺害された父親が行政を訴えた理由 「助けられたのではないか…」”
愛実ちゃんが小学校に入学したとき
2016年6月秋田市で9歳の女の子、千葉愛実ちゃんが母親の祐子(43)によって首を絞められて殺害された。
児童養護施設から母親の住むアパートに一時帰宅していたときのことだ。2泊後の夕方、愛実ちゃんが施設に戻るはずだった。しかし確認が遅れ、警察ががアパートに踏み込んだとき、祐子は意識不明、愛実ちゃんはすでに息絶えていた。2018年3月に最高裁で祐子は、殺人の罪で懲役四年の判決が確定。現在、服役中である。
この事件に関して父親である阿部康祐さん(46)は、6月7日、秋田県や秋田市を相手取り、損害賠償を求め、秋田地裁に提訴した。
母親が娘を巻き添えにして心中しようとしたことで、なぜ父親が行政側を提訴したのか。養育能力に欠ける母親に代わってなぜ父親が子供を引き取らなかったのか。母親に養育能力がなければ子供を引き渡さないのではないか。
この事件を取材し、今も阿部さんと連絡を取り合っている筆者、西牟田靖が、事件の概要や提訴の意味について、記してみたい。
わが子に会えずじまい
阿部康祐さんと祐子は、今から10年前の2009年、愛実ちゃんが2歳のときに離婚している。それから亡くなるまでの7年間、阿部さんと愛実ちゃんはほぼ会えずじまいであった。
離婚前のことだ。夫婦関係が破綻し、一人となった阿部さんが離婚調停を起こした。もめたのは愛実ちゃんの親権だった。というのも日本では諸外国のスタンダードである離婚後も共同親権ではなく、離婚後単独親権となるからだ。
調停の場で阿部さんは主張した。
「(精神疾患があり、家族との縁をほぼ絶って暮らす)妻に愛実は育てられないだろう。こちらには面倒を見る人はたくさんいる。それに私自身、回復次第働ける』と」
しかし親権は祐子側に認められてしまう。というのも日本の調停や裁判では、一緒に暮らしている方が有利という「継続性の原則」があったり、「母性優先」という考えがとても強かったりするのだ。
親権を諦めざるを得なかった阿部さんは、祐子側が提案してきた「月一回の面会交流」を呑んで調停を泣く泣く決着させる。
ところがその後、その取り決めは完全に反故にされた。「インフルエンザが流行っているから」などと、その都度もっともらしい理由を出され、会わせてもらえなかったのだ。
3人で住んでいた家に荷物を取りに行く名目で訪ねるも、祐子に警戒され、引っ越しされてしまう。心配した彼は元義父に頼んで新しい住所を教えてもらい、手段を講じる。
引っ越し先である大仙市役所へ行ったり、探偵社へ捜索をお願いしたり、幼稚園や地域の民生委員に見守りをお願いして回ったり……。さらには元義父にお願いして教えてもらった住所に「面会させて欲しい」と記した手紙を送ったりもした。
手紙を出したことが祐子の被害妄想を刺激したのか、対抗措置をとられてしまう。「家庭内で暴力を受けていた」という虚偽の申出を大仙市役所に出され、住所にブロックがかけられてしまう(DV等支援措置)。さらには「ストーカー被害に悩まされている」と警察に被害届を出されてしまう。こうしたことにより、阿部さんは愛実ちゃんとの縁を完全に絶たれてしまった。
一方、祐子は精神疾患を悪化させたことから、当時移転していた秋田市の児童相談所に「娘を預かって欲しい」と連絡。その結果、愛実ちゃんが4歳のとき、児童養護施設に預けられることになった。
このとき児童相談所は祐子の「夫はDV加害者でストーカーなのでくれぐれも連絡しないで」という話を精査せず鵜呑みにした。
施設の人たちは愛実ちゃんを大切に育てたようだ。入所した当時はコミュニケーションが下手で感情をあらわにすることがあったが、次第に落ち着き、女の子らしいかわいい少女へと成長していきつつあった。
ところが愛実ちゃんが9歳になった2016年の6月の一時帰宅の際、愛実ちゃんの人生はそこで終わりを迎えてしまう。事件が起こってしまったからだ。
失われなかった命ではないか
愛実ちゃんが亡くなってしまった原因はもちろん祐子が殺してしまったからだ。ただその途中で歯止めがきいていれば、失われなかった命だったのではないか。
もし日本がほかの大多数の国のように、離婚後単独親権で離婚しても共同で子育てをすることが当たり前の国ならば、事件は起こらなかったかも知れない。
とはいえ制度は簡単には変えられない。しかしそれでも途中で行政側の取り扱いがもう少し丁寧ならば、、、と思えてならない。
もし、面会交流が無事に行われていれば、
もし、大仙市役所が住所のブロックに慎重になっていれば、
もし、大仙市と秋田市の児童相談所が連携できていれば、
もし、秋田市の児童相談所が父親に話を聞き、児童養護施設に事情を伝えていれば、もし、一時帰宅の際、施設へ帰らなかった後、翌日の夕方ではなく、すぐに安全を確認できていれば、
いくつもの「もし」が頭に浮かぶ。
しかし実際のところは、本来もっとも弱い子どもたちを守るべき、児童福祉法やDV防止法、DV等支援措置といった仕組みが行政側をがんじがらめにしてしまい、愛実ちゃんの命を奪う遠因となってしまった。こんな皮肉なことはない。
「児童相談所が母親に養育能力が欠けていたと認識しながら、親権の停止を申し立てず、月1回の愛実さんとの面会をさせなかったなどとしている。阿部さんは、7日児童相談所を所管する県と秋田市、それに大仙市を相手取り8000万円余りの損害賠償を求め、秋田地裁に提訴した」(秋田テレビ)https://www.akt.co.jp/news?sel=20190607-00000005-AKT-1
阿部さんは話す。
「娘が殺されてしまって私にはもう失うものは何もありません。しかし私は世の中を変えたいんです。会わせてもらえずに辛い思いをしている人を一人でも減らしたいですし、みなさんには私のようになってほしくないんです。このままでいいのかということを裁判を起こすことで世の中に問いかけたいと思っているんです」
千葉愛実ちゃんが父親である阿部康祐さんとの縁を絶ち切られていなかったらこんなことは起こらなかったに違いない。嘘のDV主張を鵜呑みにし、阿部さんを遠ざけた行政側によってこの殺人は引き起こされてしまったとも言える。
この事件に関わってきた私も、この裁判が、制度が変わるきっかけになればと強く思っている。何の非もない女の子が無残にも殺されてしまう。それを助長するような法律は変えるべきだし制度も変えるべきだ。(写真・文◎西牟田靖)
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