両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

令和元年5月24日、現代ビジネス

「国際結婚の離婚」が「親子関係の破綻」となってしまった理由

 結婚や離婚の取材を長年続けているライターの上條まゆみさん。「子どもがいる」ことで離婚に踏み切れなかったり、つらさを抱えていたりする人の多さに直面し、そこからどうやったら光が見えるのかを探るために、具体的な例をルポしていく。

 今回はアメリカ人男性と数年前に離婚した赤沢奈央さん(仮名・50歳)。アメリカ人の夫との離婚のあと、子どもに会えなくなっている女性の体験をご紹介しよう。

国際結婚件数が桁違いに増えていることに比例して、国際離婚件数も増加している

国際結婚は増加の一途
 グローバル化の流れのなかで、国際結婚が増加している。1960年代は年間4~5千件、婚姻数全体に占める割合は1%前後であったのが、1980年代後半から増え始め、現在は年間2~3万件、3%前後で推移している。

 愛の前に、国籍の違いなど関係ない。それはそのとおりだが、夫婦関係が破綻し、いざ離婚となった場合、国際結婚ならではの問題に直面することもある。その一つが、子どもをめぐる争いだ。

 どちらの親が親権をもつか、面会交流はどうするか。国内結婚でも揉めるケースは多いが、国際結婚の場合は、より深刻な事態になりかねない。親権を得た外国籍の親が、国外へ子どもを連れて行ってしまう恐れがあるからだ。そうすると、日本に残された親は、思うように子どもに会えなくなる。しかし、単独親権、共同親権の問題は簡単に「黒か白」と言い切れる話ではない。

アメリカ人の夫と3年前に離婚
 50歳の赤沢奈央さんは、まさにその問題の渦中にいる。3年前にアメリカ人の元夫と離婚した奈央さんには、中学生になる娘が2人いるが、その親権は父親だ。

 上の娘は、いまは奈央さんと会おうとしない。発達障害の診断を受けており、考えが白か黒かの極端に偏りがちな特性から、「片親疎外(注)」の状態にあるのではないかと奈央さんは推測している。

 一方、下の娘は週に数回、交流している。奈央さん宅にごはんを食べに来たり、買い物に出かけたりなど、関係は良好だ。
しかし、元夫はまもなく娘2人を連れて、アメリカへ引っ越す予定だという。

 「元夫は、アメリカでの仕事が見つかりしだい、娘を連れて日本から引き上げると言っています。親権をめぐる裁判中は、『高校を卒業するまでは日本にいる』と約束したのに、です。でも、親権をもたない私には、それを止める術がない。それがいつなのか、もしかしたら既に仕事は決まっていて、明日にでも日本を発ってしまうのか。私は、その恐怖と闘いながら毎日を過ごしているのです」

注)片親疎外:両親の別居・離婚などにより、子どもと暮らしているほうの親が、もう一方の親に対するマイナスなイメージを子どもに吹き込み、結果として正当な理由もなく片親に会えなくさせている状況

国際結婚とハーグ条約
 こうした切ない状況の裏には、日本の親権制度と国際結婚ならではの問題がある。
アメリカなど欧米諸国では、一方の親が不当に子どもを連れ去ることは犯罪である。また、離婚後の子どもの親権は双方の親がもつ「共同親権」が原則なので、一方の親の了解を得ずに国外に連れて出ることはできない。「ハーグ条約」によって禁止されている。

 たとえば、アメリカで国際結婚をした日本人の妻が、離婚して子どもを日本に連れ帰ろうと思っても、子どもの共同親権者である夫がNO! と言えば、それはかなわない。

 一方で、日本国内での子どもの連れ去りは、あまり問題視されていない。結婚が破綻した際、妻が子どもを連れて実家に帰ってしまうなどというケースはいくらでもある。子どもを連れ去った側の親が「監護の継続性」の名のもとに親権を得るケースが多いことから、裁判所によって半ば容認されているとすら言える。 

 実は、先進国において、離婚後の子どもの親権をどちらか一方の親だけがもつ「単独親権」なのは日本だけだ。欧米諸国をはじめ韓国、中国などでも、離婚後の子どもの親権は「共同親権」、あるいは「単独親権」との選択制を採用している。

 つまり、日本も欧米諸国同様、「共同親権」であったなら、奈央さんの元夫は娘を連れて海外移住できない。「ハーグ条約」に引っかかる。

 子どもの居住地を決めるのは親権者だから、日本国内においても遠く引っ越してしまう可能性はあるが、日本の法に基づいて居住先を探すこともできるし、その気になれば追いかけて近くに住むこともできる。しかし、国外となると、ハードルは格段に高くなる。実際、昨年子の親権を同様に片親疎外で奪われて、相手親と子の海外移住を止められなかったもう一人の女性は、現在その子との連絡が全くとれず、安否さえもわからない状態に陥っている。海外に探しに行く予定だが、そうしても見つかる保証もない。
正社員になる約束を守らなかった
 奈央さんが元夫と知り合ったのは、20代前半。エンジニアとして会社勤めをしていた。3つ年上の元夫は外資系金融会社の契約社員で、日本に働きに来ていた。3年間の交際後、日本で結婚、そのまま日本に住んだ。

 しばらくは、それぞれの仕事に没頭して過ごした。30代後半になり、「子どもを産むならタイムリミットだ」と子どもをつくった。2歳違いで、2人の娘に恵まれた。

 「保育園に預けても、子どもは熱を出したりしますよね。それで夫婦で話し合い、私が在宅勤務に切り替えて子どものケアをすること、彼は一家の大黒柱として正社員の職を探すことを約束しました」

 しかし、元夫はその約束を守らなかった。奈央さんは不満が募り、苛立ち、そして口論が増えた。2人の仲は、みるみる崩れていった。

 「私は地方出身で、まわりに男尊女卑的な考え方をする人が多かったので、男女平等に徹する元夫がはじめは新鮮でした。でも、それは裏を返せば、頼り甲斐がないということ。子どもが生まれたというのに、自分が家庭を支えるという意識がないと感じてしまったんです」

 ある日、何度目かの大げんかをきっかけに、元夫は1人で家を出ていった。それでもほぼ毎日、家に来て朝ごはんを食べ、娘たちを保育園に送って行った。 

 子どもを真ん中に、両親それぞれが子育てにかかわる。娘たちが小学生になっても、こうしたゆるやかな別居生活は続いた。奈央さんは、子育てが終わるまではこのままでいい、と思っていた。ところが。

 「夏休みに10日ほど娘を預けたら、それっきり返してくれなかったんです。娘たちによれば、『ママと住んだら、もうパパには会えなくなる』と言われたそうです。幼かった娘たちはその言葉を信じてしまい、『ママにもパパにも会い続けるために、パパの家に住む』と。そんなことはないよと説得しても聞かず、会っても夜には元夫の家に帰ってしまうようになりました。そのうち、上の娘は私を避けるようになりました」

 性格の不一致を理由に、離婚裁判をおこされた。奈央さんは、離婚まではしたくなかった。子どものために、なんとか修復したかった。しかし、元夫は離婚を譲らない。
原審では、「子の真の望みは両親との近居である」として、離婚判決とともに、奈央さんが親権を得た。しかし、親権を求めて控訴された。その時点で娘たちが父親とともに暮らしていることから「監護の継続性」を主張され、杓子定規の判決しか出さないことで有名な高裁で親権はあちらに渡ってしまった。

 元夫は、離婚成立から数カ月後に、海外在住の女性と再婚した。

会えるのは、近くに住んでいるからなのに
 「親権がどちらであっても、下の娘とはこうして会えている。上の娘とも、時間をかけて関係を紡いでいくつもり。でも、それができるのは、近くに住んでいるから。そもそも高裁の判決は、『子どもが高校を卒業するまでは日本にいる』ことを前提に出されたものなのですから、そこは子のために守るのが親としての務めであるはずです」

 そこで、奈央さんはいま、親権者変更調停を裁判所に申し立てている。しかし、いったん決まった親権者を裁判所が覆すことは、命の危険でもない限り難しい。

 ただ、覆る可能性があるとすれば、海外からの動きだ。2018年、EU各国から日本の法務大臣宛に、子どもの連れ去りに抗議する書簡が出された。それを受けて、日本でも子どもの連れ去りに対する目がきびしくなれば、もしかしたら奈央さんの判決にも影響があるかもしれない。

 実はいま、日本でも「共同親権」を取り入れるべきだとの動きがある。法務省では、共同親権の導入について、すでに本格的な検討を始めている。ただし、虐待親から子どもを守るにはどうするのかなど繊細な問題は多い。

「親権は子どもを守り育てるための権利であるはずだが、現在の単独親権では一人の親のエゴを行使する権利として濫用されかねない。子どもには両方の親の愛を受けて育つ権利がある。親の離婚によって、子どもが片方の親との関係を失うなどということがあってよいのでしょうか」 奈央さんの問いは、元夫との関係性を超えて、国の法制度に向けられている。

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