両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

寄稿S11Give me a break

Give me a break! その11

 子は親を見て育つという。親子や家族の問題はとてもデリケートで、とても難しい。
 ボク自身も、両親、祖父母、曾祖母、叔母という同居する家族を見て育ってきたと思う。
 父は会社員、母は栄養士だった。祖父はミシン商会、祖母は編み物教室を営んでいた。編み物教室には紡績工場から女工さんが何人も習いに来ていて、幼い頃はにぎやかなお姉さん方に囲まれて育った。我が家では、なかなか男児が生まれず、生まれても早死にし、祖父も父も婿養子だった。
 そこには「イエ」を維持しようという姿勢が見て取れる。前時代のイエ制度は我が家でも続いていた。
 
 ボクの先祖の家系は、織田信長が今川義元を急襲した「桶狭間(おけはざま)の戦い」にさかのぼると伝えられる。駿河の今川方の家臣として戦い、知多半島方面に敗走した〝落ち武者〟だったらしい。ボクと同姓の岡崎にある味噌メーカーの経営者も同じようなことを言っているので、戦国時代のことながら信ぴょう性のある説ではないだろうか。そんな話が子孫に伝わっていること自体、イエ制度の名残なのだが…。
 
 生後間もなく大病をしたボクを気遣い、特にかわいがってくれたのは東三河出身の祖父だった。太平洋戦争に出征し、ビルマ(現ミャンマー)、フィリピン、インドネシアと転進し、東ティモールでオランダ軍の捕虜になったらしい。戦争のことはめったに口にしなかったが、たまに収容所での悲惨な体験を漏らしたという。テレビの戦争ドラマとキックボクシングが好きだった。
 
 祖父母は終生、布団を並べて寝ていたが、我が両親も昔からずっと1つの布団で寝ている。いろいろと葛藤はあっただろうが、80代となった今も同じで、そこは尊敬しているところである。素晴らしいと感じる。
 ボクの嫁さんにも「たまには添い寝して」とお願いしたい時もあるのだが、とても無理な話。
【気弱なジャーナリスト・Masa】

 
Season10-A

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更新 2023-05-29 (月) 06:47:51
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