両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

令和3年7月24日、デイリー新潮

フランス人男性が「子の連れ去り」被害を訴えハンスト中 日仏首脳会談でマクロン大統領が議題に

「子の連れ去り」被害を訴えるフランス人男性が、国立競技場前でハンガーストライキに入ってから2週間が経過した。「死んでも構わない。五輪中も成果が得られるまで続行する」と男性は語るが、体力は限界に近づきつつある。

14日目に迎えた開会式

 7月23日午後。東京・渋谷区のJR千駄ヶ谷駅前には、立錐の余地がないほど大勢の人々が詰め掛けていた。東京五輪の開会を祝うブルーインパルスが空を舞い出すと、群衆から一斉に大歓声が上がった。

 そんなお祭り騒ぎの中、人だかりの影に隠れるように、ヴィンセント・フィショさん(39)は、しゃがみ込んでいた。

「とても五輪を祝う気になんかなれないよ。今の僕が考えていることはただ一つ。子供たちに会いたい。それだけです」

 7月10日から水以外は口にしないハンガーストライキを続けてきた彼は痩せ細り、憔悴しきっていた。

頭がぼうっとする

 ヴィンセントさんは3年間、我が子と会えていない。2006年に外資系金融機関の駐在員として来日した彼は、15年に日本人女性と結婚。二人の子宝に恵まれたが、3年前に夫婦関係が破綻してしまい、妻は子供たちを連れて家を出て行った。その後、子供たちがどこにいるかわからなくなってしまったのだ。

「警察、裁判所、役所にいくら掛け合ってもダメだった」。妻がヴィンセントさんからDVを受けたと訴えていることなどが原因で、子供たちの住所が秘匿されてしまったという。

「私は誓ってDVなどしていない。日本の当局は証拠もなしに、妻の一方的な訴えのみを信じて、私と子供たちを引き裂いたのです。フランス政府、国連、メディアに掛け合っても全部ダメ。もう私の体を投げ出す最終手段しか残されていない」

 ヴィンセントさんの行動がSNSなどを通して知れ渡ると、連日、多くの支援者が駆けつけた。ほとんどが、同じような事情で子供たちと会えない“同志”たちだ。19日、20日には超党派で結成されている「共同養育支援議員連盟」の国会議員メンバーも来訪。その度、ヴィンセントさんは立ち上がり、一緒に写真に収まるなど元気な様子を見せていたが、五輪開会式を迎えた23日は一日中、座り込んだままだった。

「足が痛く、立ち上がるのがしんどい。頭もぼうっとする」

 支援者によると、医師の勧めで、1週間くらい前から最低限の塩分やビタミンを取ってはいるものの、体力の限界は近づきつつあるという。

フランスでは連日ニュースに

 日本でこのような「連れ去り」が多発している要因として挙げられるのが、離婚後の単独親権制度だ。一方、共同親権が一般的な欧米などの先進諸国は、日本に対し「連れ去りは子供への重大な虐待」と批判してきた。20年7月に欧州議会は、日本人の親が日本国内で子供を一方的に連れ去り、別れた相手に面会させないことを禁じる措置を迅速に講じるよう、日本政府に要請する決議案を採択している。

 ヴィンセントさんは2年前に、母国フランスのマクロン大統領が来日した際に面会し、支援を訴えている。「あの時、大統領は『善処する』と約束した」。しかし、状況は何も変わっていない。五輪開会式出席のため来日するマクロン大統領に再会し、直訴したい。そんな思いのもと、彼はこの2週間、ハンストを続けてきた。

 ヨーロッパ在住のジャーナリスト・栗田路子氏によれば、フランスでは彼の行動は連日大きく報じられているという。

「『ル・フィガロ』『ル・モンド』などの大手紙を始め、国営放送のニュース番組でも特集が組まれており、広く市民に共感されています。フランスのみならず欧州圏では、どんなにいがみあって別れても、子供の最善のために協力して育てる『共同親権』が広く実行されているので、みな信じられないといった思いです。24日、マクロン大統領が菅首相との首脳会談でこの問題を取り上げることも大統領府から発表されており、大きな関心が寄せられています」

マクロンは来たのか……

 マクロン大統領が来日した23日の午後2時過ぎ、突如、大統領顧問とフランス大使がヴィンセントさんの前に現れ、現場には緊張が走った。マクロンがやってくるのではないかーー。だが、彼らは大統領の代理として訪れただけだった。この時ばかりはヴィンセントさんは体を振り絞るように立ち上がり、フランスから日本に外圧をかけ、この状況を打開してほしいと訴えた。翌24日昼、日仏首脳会談が開かれ、マクロン大統領は菅首相に対策を講じるよう要望したとみられるが、千駄ヶ谷駅前に現れることはなかった。

 ヴィンセントさんはこう訴える。

「マクロンがここに来ることが重要だったわけではない。それなら2年前と変わらない。僕が要求しているのは、子供たちと会わせてくれること。そのために、母国がちゃんと動いてくれること。それが確約されるまで、僕は続けます。死んでも構わない。二人の子供たちはパパに会いたがっている。彼らのためにも戦い続けます」

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