両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

平成30年2月17日、名古屋ブレイブハート法律事務所ブログ

法学セミナー 2018年3月号 「最高裁判決2017——弁護士が語る」に掲載された蒲田孝代弁護士による論文『「面会回数と親権者の指定」事件 ——いわゆる100日面会提案事件』についての下記解説が名古屋ブレイブハート法律事務所のブログに掲載されました。

蒲田孝代弁護士「面会回数と親権者指定」事件を読んで―フレンドリーペアレンツ

弁護士の仕事には互換性があるので、なんともいえないのだが、蒲田孝代は女性の弁護しかしないようである。そのためやや極端かつ一方的な議論が目立ち、法学セミナーに掲載されたものは残念な内容で理論的示唆を示すものではなく、裁判官に対する主観的不満を縷々述べるものに終わってしまった感が否めない。
紛争の経過は、当ブログのフレンドリーペアレンツ判決として好意的に取り上げているので、そちらを呼んで欲しい。
夫側の立証計画は、大胆なもので司法改革を迫るものといえた。
蒲田によれば、夫側が提出した証拠は、
・面会交流に関する論文
・国会での議論状況の資料
ハーグ条約関連の資料
片親疎外というテーマの資料
などを提出した。
しかし、蒲田は弁護士として、このように述べる。「日本の法制度の欠陥を指摘するために、自身の離婚事件を利用しているように妻側には映った。言うまでもなく、具体的な訴訟手続きで現行法制度を変更することはできない」というが果たしてそうだろうか。東京高裁判事の岡口基一が「裁判官、当職そこが知りたかったのです。」の中では、第一審裁判官は問題提起をすることは許されているという趣旨の発言もある。司法修習生に対する給費制の実質復活も具体的な訴訟手続きの成果そのものではないか、家事事件の場合、裁判の積み重ねが重要であるから、裁判官に個別具体的な訴訟手続きの中で問題提起を迫るのは、憲法判断すら許されている裁判官にとって、むしろ通常予定されているおり、論旨は明らかに誤謬がある。
蒲田孝代弁護士は、当事者である原告(被控訴人)を次のように「人格攻撃」するが、理屈で責められないということは、論理破綻していることの証左である。やはり、我が国でも前向きな共同養育法案を推進していく必要性があると、かえって、かような極端かつ一方的な弁護士がいると思ってしまう。神戸家裁部総括判事の永井尚子が指摘するように、親権にしても、面会交流にしても、裁判所に持ち込まれるのは中間ラインのもので熾烈なものではない。なぜなら、絶縁していれば親権争いなど置きようがないし、元来互いに愛情が深ければ面会について協議離婚の際、宿泊も含めて合意するのが普通だからである。永井部総括判事は、裁判所に持ち込まれているものが中間ラインのものであるものであることを喝破しているのだ。したがって、熾烈な争いは本来論理的に起こり得ないのであって、むしろそれを盛り立てているのは、蒲田孝代弁護士のような弁護士ではないのか。以下、彼に対する人格攻撃をみていこう。
・子を連れ去ったもの勝ちなどと侮辱している
・子のプライバシーを犠牲にしてまで自己の正当化を図っている
・マスメディアの一方的な報道で傷ついた
・面会交流を求めているのではなく、法改正の「活動家」だ
・子の最善の利益の主張をしていない(何度も読むがこれは蒲田の主観的なものにすぎないだろう。)
・以上の次第で蒲田弁護士は面会交流を拒否することを決めたのだ、という。
しかしながら、DVもない案件で、なぜエフピックを利用しなければならないのか、私にもよくわからない。たしかに永井尚子も導入期が難しいと指摘し、正鵠を射るものである。双方ともリベラルさを欠いており、裁判官が両成敗をしたのは当然のことのように思えてくる。
あまりに異例な判決というが、アメリカでは、共同親権でない主たる監護者+面会交流の場合、100日くらいがベースラインだ。ゆえに、異例でもなんでもにない。しかも、これまで、全く面会交流にも応じてこなかったのであるから、相応に問題があるとマスコミが見立てるのは当然のことといえよう。蒲田はそれを「被害者」ぶっているが反駁には全く成功していないように思われる。
そして、蒲田は驚いたことに、上記で馬鹿にしていた夫側の立証に対する反駁を試み始めるのである。
・フレンドリーペアレントルールは、諸外国で大きな弊害がある(と主張するのだが、たしかにオーストラリアやスウェーデンの立法政策を研究している私からすれば、リセッションはあるがそれは共同親権についてであって、フレンドリーペアレントルールに問題や弊害があるなど聴いたことがない。もしそういうものがあるとすればやはり極端かつ一方的な論者の議論なのではないか。)
しかし、判決についての論考であるのに、判決について肯定的な理論的検討がされていないことは甚だ遺憾であり、これで判例雑誌といえるのか、と思ってしまった。蒲田弁護士の一方的な罵詈雑言の類が書いてあるに過ぎない。
しかしながら、それ以上に驚いたのは、文章を拝見する限り、現在も面会交流は実現をみていないようにうかがわれることである。父母間の高葛藤は面会交流拒否事由として認められていないにもかかわらず、これが認められている誤導を前提に論を進める論者にも問題はあるが、この弁護士には面会交流について調整する能力に疑問符をつけざるを得まい。

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