平成29年5月11日、土井法律事務所(宮城県)ブログ
危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道
私は、弁護士なので、自分が担当していない事件については理由がない限りコメントできないと思っているので、今までコメントしてこなかったのですが、あまりにもヒステリックな議論が横行していることを憂慮して書かざるを得ない気持ちになっています。
今年1月に起きた長崎の女性死亡事件と4月に起きた父と子の死亡事件について離婚した男性の殺人だと決めつけて面会交流中に起きたのだから、面会交流は危険だという印象を与える操作をネット上で展開している人たちがいます。
ちなみに長崎の事件は犯人は特定されていません。
ところで、親子心中事件はそんなに多いのでしょうか。
政府統計によると、平成26年の子どもを巻き込んだ心中事件は27件うち23件は母親の心中で、父親の心中は二番目にも入りませんでした。
ほとんどなかったという結果です。
心中以外の虐待死は、母23件(363.6%)、父3件
25年ですと
心中事件 母18件、父13件
心中以外 母16件 父8件
24年ですと
心中事件 母24件 父6件
心中以外 母38件 父3件
23年は
心中事件 母33件 父表示されず
心中以外 母33件 父11件
それ以前も母の手に係る子殺しは二けたを維持しているようです。
但し、母親の子どもに対する殺人事件の少なくない割合に出産日の殺害という類型があることは気に留めておいてください。
離婚後の殺害という分類はありません。
この統計を見ると、仮に、長崎と兵庫の事件が離婚後の元夫の犯行だとしても極めて例外的な事件であることがわかります。
一般的に「離婚前後はお互いに気持ちも生活も落ち着いていない時期である。そのようなときに面会交流をおこなうことに危険が伴うことは、素人でも理解ができる。」 という根拠にはならないことは、資料を隠されなければ、学生さんも理解できるところでしょう。
では、離婚後しばらくすると葛藤がおさまるのでしょうか。
ある類型の離婚事例では、私のみてきた事例では離婚後数年程度では葛藤が収まらない事例が多いようです。
「子どもをとられるのではないか。」「何か良くないことが起きるのではないか。」と不安定になっているケースが多くあります。
その類型では、男性の方も精神的に不安定になり、社会生活に適応が難しくなったり、鬱的な日常と付き合わざるを得ない悲惨な場合が多くあります。
しかし、その反対の事例では、再婚率が高くなるように感じています。
離婚までの時間がかかっても、離婚後の葛藤は鎮まるようです。
どういう類型が予後が悪くなるのかというと「逃走型離婚」とでもいうようなケースです。
多重債務を抱えて夜逃げをするようなものです。
いつまでもいつまでも恐怖が消えないどころか、元々はなかった恐怖まで上乗せされていきます。
逃走型離婚の予後が悪い理由の女性側のメカニズムについては既に論じていますので省略します。
「支援による子連れ別居は、女性に10年たっても消えない恐怖を植え付ける 女の敵は女」2
取り残された方の心理ですが、先ず、わけがわからない状態に陥ります。
朝まで一緒に日常の会話をしていた家族が、仕事から帰ったら誰もいなくなっていることはとてつもない衝撃です。
小さい子どもがいるケースが多く、とても心配になります。
警察に届け出を出そうとすると赤の他人の警察官が居場所を分かっているようなことを言います。
それでも、夫に教えることはしません。
「自分だけが家族から排除されている」ということだけが強烈に理解できてしまうわけです。
実際は妻の実家に帰ることが多いのですが、実家に行くと近くに警察官が待ち構えていて、警察署に連れていかれて、精神的虐待だから近づくなと法的根拠のない事実上の強制をしてくることも少なくありません。
市役所に行けば、自分の家族の住所がわかる書類は一切見せられません。「あなたと話すことは何もない」等と職員から言われて何が何だかわからないうちに、市民としても当たり前に扱ってもらえなくなっています。
一番基本となる群れである家族と一番強権力がある公権力が、自分のすべてを否定してきている状態です。
これまで犯罪と無縁でいた善良な市民は自分が犯罪者というレッテルを張られたという意識を持つようです。
子どもたちとも会えません。クリスマス目前でいなくなった家族やクリスマス後にいなくなる家族があって微妙なニュアンスの差があるのが実情です。
子どもたちは自分を嫌っているわけではない日常の生活からそう考えます。学校にも通っておらず、学校も、結局は、どんな状態でも転校手続きを進めてしまいます。転校先では母親の旧姓を名乗っていることもあります。
「自分が人間として尊重されていない」そう感じてしまうことに、有り余る事情があると思います。
一番の問題なことは、どうしてそういうことになったのか見当がつかないことです。
こういうことになると、人間の考えることはほぼ共通しています。
先ずは、あったことを否定したくなるわけです。何かの間違いであり、悪い夢で目が覚めればまた日常が戻ってくる。悪い冗談なのだろうと最初は思うでしょう。
だんだん警察官の制服を見るにつれ現実に引き戻されていきます。
次に思うことは、妻の本心ではないということです。妻の実家に操られている警察や男女参画や弁護士が主体的に行っている。
離婚調停や裁判で、自分が認識している事実と明らかに違うことが述べられているので、その気持ちを強くしていきます。
一向に子どもとは会えません。
ここからの対応は個性や環境やタイミングの違いでバリエーションがあるのですが、要するに強い危機意識への対処の方法の違いに過ぎません。
ある人は、うつ状態になります。すべてをあきらめて、自分が再び尊重されることが不可能だと悟り、生きる意欲を少しずつ失っていくわけです。だいたいが焦燥型のうつで、突然大声でわが身の不幸を嘆きたくなる知らない人はびっくりするような精神状態です。
ある人は攻撃的になります。意識としては、「自分は間違ったことをしていないのに どうしてこんな目にあうのか」というような感覚なのだと思います。
この時妻を攻撃の対象とするケースと妻は攻撃の対象としないで、弁護士や裁判所に対する怒りを募らせるケースとそれぞれです。
このような感情の不安定さを招いた一番の原因は、わけのわからないうちに自分が否定されたということなのです。
人間も他の動物と同様「生きていこう」と思うわけです。但し、他の動物と違うことは「人間として生きていきたい」ということです。
それは、「群れの中で尊重されて生きていく」ということなのです。
これが理由もわからずに強烈に否定されてしまうと、人間として生きていこうということが否定されることから危機意識が強くなり、それに負けて逃避するか、自分を守るためにやみくもにエキサイトするかどちらかになってしまうことは理の必然なのです。
どうすればよいのでしょうか。
離婚は、通常どちらかが離婚したくてどちらかが離婚したくないというものです。
離婚したい側のすることは、最終的には、自分が離婚したいという気持ちを相手に理解してもらい、相手にあきらめてもらうことなのです。
自分の気持ちを理解してもらうためには、相手を理解することが早道です。
「あの時、あなたは、こういうことを言った。あなたの感覚では、親愛の情を示すことなのかもしれない。でも、私は言われて嫌だった。だから、あなたにまじめにやめてほしいと言ったのにあなたは私を馬鹿にしたように笑うだけだった。私は、これからもああいう場面のたびに傷つくことを言われる。自分が大切にされていないと感じると思うと生きる気力が失われていくように感じた」
といえばよいのに、「あなたは、あの時、こういう言葉で 精神的虐待をした。モラルハラスメントだ。」となってしまうと、とてもではありませんが、何が何だかわかりませんから離婚したいという気持ちを許容する気にはなりません。
「精神的虐待のつもりではないことは 分かっていたはずなのに針小棒大だ」と感じてしまうことは当然でしょう。
「あなたは厳格するぎるお父様に育てられたので、私のそういうところを見過ごすことができないでこういう態度をした。確かに言っていることは正しいことかもしれないけれど 私もどうしてもできない時があって、その時にああいう態度をとられると自分自身を否定されているような感じであなたと一緒にいるとと、自分がだめな人間だと思われ続けているような気持ちになっていく」
といえばよいところを「あなたの父もDVだから、DVが遺伝したんだ。」という主張になれば収拾がつかなくなります。
実際に理解できなくても理解しようとしている姿勢を見せると離婚が早くなるものです。
当事者の方々はなかなかそれが難しいことですが、代理人である弁護士は、当事者化しないで、そのような合理的な主張を調停では組み立てられるはずです。
離婚事件の当事者の双方の痛みに向き合う作業をしなければ代理人とは言えないのだろうと思います。
要するに、離婚したい方は、離婚したいほど相手の嫌なところについて相手なりに理由があるはずだと考えその理由を言い当ててあげる。
相手を理解しても、それでも、今後の人生一緒に生活をしたくないというメッセージを伝えなければならないはずです。そして、それが、相手にあきらめてもらう王道なのです。
しかしながら、実際は、わずかのすきをついて、「それは取りようによっては精神的虐待といえる」「裁判で主張すれば離婚できるかもしれない」というような主張が横行しているように感じます。
子どもじみたゲーム感覚です。とても、人の一生に影響を与える離婚事件を取り組んでいるようには思えないのです。
当事者が一対一で話し合うことは難しいことが多いのですが、夫婦には夫婦しかわからないことが多くあります。一概に自分を否定しているわけではないということは代理人を通してでも伝えることができます。
離婚を迅速に円満に進めるためには、相手の十分な理解を通じて、自分の気持ちを理解してもらうということに尽きると思っています。
もう一つの離婚を紛糾させて、当事者の感情を興奮に至らしめる事情は「子どもを会わせない」ということです。
不思議なことに、多少の暴力事案であっても子どもたちは、親を嫌いにならないということが多くあります。子どもの方が、当事者夫婦よりもかなり冷静に公平に見ているようです。
親に会いたいという気持ちは言えない事情があっても多くの場合はあります。
会いたくないといってもいざあってしまえば、時が遡ったような親子関係が出現することが多いです。
ただ、年齢的に親と打ち解けることができなくなる時期があり、4、5歳の、親の手を握り締めて歩いていた時を求めていたのでは失望するでしょう。
また、相手が打ち解けないことに動揺してしまうと、子どもはますます打ち解けるタイミングを逃してしまいます。最悪なのは、「どうして楽しそうにしないのだ」といってしまうことです。
気にしなければ良いのです。一緒にできることを探すのがベストですが、親が一緒にいて楽しい、嬉しいというそういうことを伝えれば時期になごんできます。無条件に大事にされることが子どもにとって一番です。
そのためには負の感情も肯定してあげることが辛いですが必要となるのですがいろいろと疑心暗鬼になるのも理解できるところです。
とにかく、子どもに会わせないということが別居親の精神的葛藤を高めます。
親子という関係を否定されてしまうことは特に日本人にとっては、自分の宗教を否定されたような強烈な衝撃を与えることです。
未来永劫子どもとは会えないという考えはとてつもなく深刻な危機意識を与えてしまいます。
離婚調停の文書で大げさな表現を使い、子どもに会わせないということが相手を挑発することになることは理解できると思われます。
さて、そのことを裏付ける統計がやはりあります。
離婚統計ですが、以下のとおりです。
平成14年をピークに下がり続けています。これを知らないで、未だに離婚数は増加していて、3件に一件が離婚する時代だなんてことを言っている人もいます。
その年の離婚数がその年の婚姻数の3分の1だということに過ぎません。
結婚している夫婦は、その年に結婚した夫婦だけではありません。もっとたくさんいるわけですから、夫婦の3組に1組が離婚するわけではありません。
このように離婚数は右肩下がりに減少しているのですが、次のグラフを見てください。
面会交流調停や審判の申立件数は右肩上がりに上がっているのです。
配偶者暴力相談の相談件数の10分の1が面会交流調停の数とぴったり合っています。これが偶然であるとは思えません。
いかに、一方が納得行かない離婚や子どもとの別れが増えているのかということをはっきり示しているのだと思います。
そして、その納得のゆかない離婚や別居に、一方的な子どもを連れた逃走型離婚の増加が関係しているのではないかという推論が成り立つはずです。
もし危険な面会交流が増えているとすれば、それは作られた危険であり、大人同士、人間同士の当然な切り結びを否定して相手の人格を否定するやり方に起因している可能性が極めて高いと思う次第であります。
防止するべきは面会交流ではなく、相手の人格を否定するような別居、離婚のかたち、稚拙でヒステリックな方法論だと思います。
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