両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

平成29年1月17日、土井法律事務所ブログ

【ボヤキ】子ども連れ去り別居によって、二度人格を否定される。面会交流調停覚書

先日の面会交流調停が腹立たしく、というか悔しくて夜中なかなか眠れずに、じゃアブログに書いてやろうと思った次第です。

某家庭裁判所のことなのです。

前に、公務員の方が暴行にあってうつ病になった事案で、暴行自体はうつ病の原因にはならないけれど暴行後の管理職の対応がひどくてつまり被害者として扱わなかったことでうつ病になったと認定された労働災害の報告をしました。

【認定報告】地公災基金審査会で逆転認定。職場内暴行被害後、上司の事件隠ぺいによってうつ病を発症した生存事案(時間外労働40~70時間) [労災事件]
  http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-10-20

この公務員の方は二度人格を否定されたわけです。
一度目は、暴行によって二度目は、暴行後の管理職の対応によってです。

そして精神的には、暴行それ自体よりもその後の方がきつかったということになります。

こういうことは裁判所でも起こります。

ある日、会社から帰宅したら妻子がいなくなっていた行方知れずになることもあるのですが、

夫からすれば、前日まで普通に会話をして、普通に心の交流をしていたのに、ただいまと帰ったら、そこは、家庭ではなくなっていたのです。
ただの木の箱になっているのです。自分一人が取り残されてしまった。

これは、男女の別は本来関係ないのですが、男が取り残された場合は、家族から自分が夫として、男性として、人間として家族の一員として否定されたという衝撃を受けます。
存在自体が許されないと感じられるわけです。

これは、男性が妻や子供に暴力をふるった場合でも暴力などふるわかない場合でも極度の疎外感を感じることには変わりはありません。

たとえ、家族に対してよからぬことをやっている人でも、家族のために仕事をしているという意識が強くあります。
その人なりに家族を大事にしています。

それにもかかわらず、離婚調停や面会交流調停で、家庭裁判所が、連れ去られた親に対して、この疎外感について共感を示すことは滅多にありません。
まあ、、滅多にというより、ありません。

前に、面会交流調停を申し立てたら、調停委員から「なんで子供に会いたいの?」という質問をされたことがあり、比較的感情を抑えずに小さくない声で1時間ほどご説明をしたことがありました。

この事件は、調停委員の外に毎回裁判官が入るようになりました。

今回の調停も調停委員の一人が、目を座らして、当事者をじっと睨みつけているのです。

面会交流は、子どもの利益のために行うものです。

通常は別居親は会いたいし同居親は会わせないのです。

何とか、子どもの利益のために子どもを別居親に会わせようとするその方法を話し合うというのが、面会交流調停のはずです。

初めから、会うことを我慢しろということばかり言われるのです。
何のために面会交流調停を申し立てたかわかりません。
考えてみれば、金返せって話です。

コーヒーの注文を請けて、お金を払わせておいてコーヒーは胃に悪いから飲むのをやめなさいと言うようなもんでしょう。
(コーヒーが胃に悪いと言っているのではありません。この様に難癖をつけて理不尽なことをしているという 卓越した比喩ですので、ネッスルさん。)

せめて、お寂しかったでしょうとかつらい気持ちだということはわかりますとか子どもに会えない心情をいたわることはできるだろうに、裁判所は、人格を否定されたと感じている人に対して、当たり前の態度を示さないばかりか、
私から見れば、挑発し続けているというように感じられてなりません。

そしてお決まりの、「奥さんは面会交流に理解を示しています。 子どもを会わせようとしているんですよ。でも子どもが会いたくないと言っているんです。」

誰から聞いたのとその奥さんでしょとつこっみを入れる気もだんだん弱っていきます。

別件では、なんだかんだ言っても結局、同居親妻の葛藤が高すぎて面会交流に至らなかったことがはっきりしました。
本人が認めたのです。

別居妻の「言葉をストレートに」指示する。これ大事なタームなので覚えてください。

そもそも、何も話し合いもせず、不満も要求も表明せずに子どもを連れて立ち去った人です。
別居親は言葉をストレートに受け入れることはできません。

それにもかかわらず、言葉をストレートに受け止めろという結論を押し付けてくるわけです。
こちらの言葉は何らストレートに受け入れないくせにです。無力感が募っていくわけです。

子どもは、同居親が身近にいますから全うな人間として、近くにいる身内を助けようとします。
そして、子どもですからそれが別居親を傷つけるということまでは頭が回らないことが多いです。
子どもはそれでよいと思います。

問題は、会いたいと言えない子どもの代わりに大人たちが何とかしてあげるということです。

家庭裁判所には、子どもの心理等の専門職である調査官という職業があり、実際に子どもと面会をして環境や意向を調査します。

最近の面会交流調停には、調査官が立ち会うようになっているようです。
それは期待します。
家裁月報の調査官の研究論文は優れたものが多く、子どもの発達心理の勉強になります。
同居親に気を使っている子どもの心理を鋭くえぐり取って、子どもの言葉をストレートに受け止めず、真意を探り、子どもの健全な成長の観点から合理的な意見を述べてくれるだろう、

子ども健全な成長の観点から面会交流を推し進めてくれるだろうとそう思いたくなるじゃないですか。

実際、この事件についても鋭い調査がなされました。

母親が嘘をついて子どもを父親から遠ざける手法についても鋭く報告していました。
母親の面会していいんだよというストレートな言葉を子どもが額面通り受け止めずに、会いたいと言えない様子もリアルに報告していました。

で、調査官の意見は、子どもが会いたくないので、手紙や写真を別居父に渡すことが良いといっているのです。

調停の中でも面会を断念するように説得する態度に終始しているのです。

何のための調査官立ち合いなのだろう。

しかも、報告書では子どもが父親に会いたくないと言ったとは一言も言っていないのに、調停期日では、明確に会いたくないと言ったと何度も言いました。

なんで報告書に記載していないことを言うんだかわかりません。

また、子どもが父親の良いところを述べていても言葉をストレートに受け止めてはだめだというのです。

それにもかかわらず言ってもいない「会いたくない」という言葉をストレートに受け止めろというのです。

だいたい、同居親が手紙や写真を送ることがなんで、子どもの健全な成長につながるのか、面会交流の意義を理解しているとは思えません。

子どもの意見を尊重することに反対することは11月に述べた通りです。
面会交流にあたって、「子どもの意見を尊重する」ことに反対します。(あいたいと言えない子ども達のために大人がするべきこと)

連れ去られて一人ぼっちになってしまった夫は自分が心を持った人間であるということを裁判所で否定され続けるわけです。

二度人格を否定されますが、二度目は、強権力を持った国家機関から否定されます。

裁判所は人権最後の砦であり、税金で優秀な人材を集めているという信頼感があります。

その人たちに公平にされるべき自分が目を座らせて終始説得されるわけです。
一度目よりも深く傷つけられるということは簡単に理解できることでしょう。

紛争を解決しようとせず、マニュアルに従った対応で紛争を長期化、感情化させていることに裁判所が気が付かなければ悲劇は繰り返されていくことと思います。

残念でなりません。

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