両親の愛情が子どもの健全な成長に不可欠であるとの認識のもと、子どもの連れ去り別居、その後の引き離しによる親子の断絶を防止し、子の最善の利益が実現される法制度の構築を目指します

令和4年5月16日、note

別居母親 事例3 引き離しの背後に義母がいる

上篠まゆみ

別居母親や親子の引き離しの取材をしていて感じるのは、配偶者から子どもを引き離す人の背後に、ほぼ必ず義母の存在があるということだ。とくに夫の場合、夫本人というより義母が扇動していることが多いような気がする。そして、子育てを取り仕切る。
家庭のなかで「母」という立場は、ある種の権力だ。その権力をもう一度、取り戻したいのか。息子の子ども(孫)のうえに母として君臨したいのか。
実際、取材のなかで息子とその子ども(孫)を抱え込んだ義母が、自分のことを「ママ」と呼ばせているという話も聞いたことがある。

マサコさんのケースも、義母が大きな役回りをつとめている。

別居に夫も了承したのに…

マサコさん(仮名・46歳)は、13歳の息子の母親だ。夫と別居しひとり暮らしを始めて6年、子どもは父親の元にいる。子どもの世話は、同居の義母がしている。
マサコさんが望んだ形ではない。マサコさんは、子どもと一緒に暮らしたかった。しかし、夫と義母にそれを阻止された。
夫と義母、子どもが住んでいる家と土地は、マサコさんも半分の名義を持っている。にもかかわらず、出入りを禁止されており、子どもとも月1回4時間と決められた枠の中でしか会えないでいる。

マサコさんは看護師で、夫は薬品会社の営業マン。友だちを通して知り合い、結婚した。共働きをしながら出産。慌ただしくも充実した日々だった。
家を建てるときに、ひとり暮らしをしていた義母を引き取り、同居を始めた。このあたりから、夫婦の歯車が狂い始めた。
「家庭は夫婦2人で築いていくものなのに、夫は常に義母ありきでものを言う。共働きだから家事も育児も2人で分担したいのに、私が夫に頼んだことを夫は義母に丸投げしてしまう。それは違うんじゃないかな、ということが増えてきて。しまいには、家の中で大事なことも私抜きで、夫と義母が話をして決めるようになってしまいました」
マサコさんも気が弱いほうではないから、はっきりと夫に改善を求めた。「あなたは誰と生活していきたいの」。しかし、夫も頑固で、「態度を変える気はない」と言う。
「このまま生活していくのはしんどいなと思い、私は別居を提案したんです。夫も了承したので、実際にアパートの部屋を借り、子どもを連れて出ていきました。子どもが学校を変わりたくないと言うので同じ校区内、住んでいた家から10分足らずのところ。夫婦仲と親子関係は別物ですから、別居をしても子どもと父親の関係を切るつもりはありませんでした」
引っ越しは、子どもの学校の夏休み中にした。当時、子どもは7歳。マサコさんは看護師という専門職で、十分な収入を得ている。この先、離婚をして母子2人暮らしになっても、充分に暮らしていけると考えていた。
ところが。
別居開始からわずか2日後、夫はマサコさんに無断で、子どもを学童から連れ帰ってしまった。母子2人暮らしはここで終わった。

義母が子どもを家の中に軟禁

「私が子どもを連れて家を出ていくとき、夫はごくふつうに『じゃあ!』と話していたので、まさか子どもを連れて行ってしまうなんて思いもしませんでした」
夫は子どもを義母に預け、義母は親戚の家に逃げ込み、マサコさんが手出しできないようにした。
子どもといきなり引き離されて、マサコさんはどうしたらいいかまったく分からなかった。
ただ、相手方が『弁護士!裁判所!』としか言わないので困り果て、何件かの弁護士事務所に相談したが、「連れ去られ案件は勝てる見込みがないから難しい」と言われ、なかなか引き受け手が見つからない。焦燥感に駆られて過ごした。
「夏休みが終わるころには家に戻ってきましたが、一日中、義母が子どもを家の中に軟禁して一歩も家から出さないんです。子どもに会いたくて家に行ったら、義母が『助けてーっ! ママに殺されるー!』と叫び、窓に近寄ってきた子どもを2階に追い立てました。子どもは耳を塞いでいました。更に、警察まで呼び、警察には、『私は関係ない!』と叫ぶ始末。呼ばれた警察もただ立っているだけの、家と土地の所有者である私に、何も出来ず…の膠着状態…」
想像するだけでやりきれない光景である。
以降、マサコさんは、子どもの気持ちを考え、家に近づかなくなった。

子どもに会わせないのは復讐?

その後、ようやく引き受けてくれる弁護士が見つかり、子どもの監護者指定と引渡しを求めて家庭裁判所に調停を申し立てた。相手も弁護士を立てて応戦してきた。が、そもそも話し合う気がない夫との調停は、2年ほどかかったが、不成立に終わってしまう。
「夫は、私が頭がおかしくなって家を出ていった、精神科に行って病気を治したら話を聞いてやる、と言うんです。もともと自分のテリトリー内にいる人は可愛がるけど、それ以外の人は徹底的に排除する気質のある人でした。自分の言うことを聞かず家を出ていった私は、夫にとって敵なんでしょうね。私から子どもを取り上げることで復讐をしているつもりなんだと思いますし、自分は正しいので、やって当たり前なのだと信じているのだと思います…」

マサコさんは、とにかく子どもに会いたかった。それまで一緒に暮らしていたのにいきなり会えなくなって、自分も辛いが、子どもはどんな思いだろう。切なさに叫び出しそうになった。それでも、いつか子どもを引き取って一緒に暮らせる日が来るかもしれないと思うと、仕事は辞められない。
精神的にズタズタな状態で仕事に行くのは、過酷ではあるが、逆に救いでもあった。
「仕事に集中している間は、子どもと会えない苦しさを忘れていられました」
マサコさんが子どもに会わせてほしいと頼んでも、夫は無視。面会交流調停を申し立てたが、のらりくらりと交わされるばかり。その間にも、子どもと会えない時間が積み重なっていく。
マサコさんにできるのは、学校や保育園の行事にこまめに参加して、子どもの顔を見ることだけだった。子どもは困惑した顔を見せた。
「夫や義母が、ママが来ても無視するようにと言っているのだな、と思いました」

4年後にようやく月1回の面会が可能に

4年もかかってようやく高等裁判所の判断がつき、マサコさんは月1回4時間、子どもと会えることになった。あまりにわずかな時間だが、会えないよりはずっといい。ちなみに離婚はしていない。
「2年半の間、学校行事のほかは家庭裁判所での試行面会をしたり、弁護士2名が付き添っての面会交流だったり…。だから、誰も第三者がいない場所で子どもと会うのは本当に久しぶりでした。どうなるかとドキドキしていたら、子どもは来るなり弾丸トーク。『ママ、あれがね』『ママ、これがね』って。私を好きで、私を信頼している、私の子どもが変わらずそこにいました」
面会交流をめぐる調停や裁判で、夫が出してくる書面には「子どもは母親に会いたくないと言っている」などと書かれていた。別居するまでの親子関係は良好だったから、そんなはずはないと思っても、やはり凹むし、深く傷付く…。
「子どもの気持ちがわからなくて疑心暗鬼になってしまい、正直、子どもを精神的に手放したら楽になるのかなと思ったこともありました。でも、子どもは私を信じてくれていた。これはもう、子どもとの関係を諦めずに頑張るしかないと思っています」

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